皆さんは春駒というお菓子をご存知でしょうか?
春駒は鹿児島県で江戸時代から作られている、ういろうによく似たお菓子ですが、その名称の由来には、ちょっと口には出せないようなお下品な理由が隠されています。
今回は、そんな春駒のカロリーや賞味期限、特徴や発祥についてご紹介いたします。
目次
春駒の特徴
春駒は、上新粉、白玉粉、小麦粉、黒砂糖、白双糖、晒し餡を混ぜ合わせたものに水を加えて捏ね上げたもので、長さ10cmほどの円柱型に形を整えてから蒸し上げることで完成します。
出来上がった春駒は竹皮で包まれることが多く、濃い茶色に艶やかな光沢があり、その食感は独特の強い粘りがあって、ういろうによく似ています。
春駒の由来
春駒は、江戸時代の文政3年(1820年)、鹿児島城下の新照院通町に住んでいた薩摩藩の槍述指南役高橋種美(たかはしたねよし)が、携行食糧として、もち粉、うるち粉、黒糖、朝鮮人参の粉末を混ぜて練り上げ、棒状にしてから蒸し上げて作ったことに始まると言われています。
当初は、長さがおよそ30cm、太さがおよそ5cmもあるとても大きな餅菓子で、黒褐色の巨大なその姿に、薩摩藩の藩士たちは「うまんまら(馬ん摩羅)」あるいは「新照院のうまんまら(馬ん摩羅)」と呼んでいました。
馬ん摩羅=馬の摩羅であり、摩羅は陰茎そのものを指します。
まさに見た目の印象をそのまま言い表したと言えるでしょう。
そんな上品とは言いがたい名前が菓子名として定着していたのですが、名前を変えざるを得ない出来事が発生しました。
大正天皇が鹿児島県へ行幸した際に、この「うまんまら」が地元薩摩の菓子として献上されました。
その際、菓子の名称を知りたいという大正天皇のご下問に、応対していた県知事は、あまりに直接的なその名前を答えることができず、閉口してしまったのです。
県知事の窮地を見かねた侍従が、とっさに言い換えて「春駒と申します」と口添えしました。
春駒とは元の名称にあった馬の意味を上手く取り込んだ何とも雅やかな表現です。
その侍従は豊かな教養のある人物だったのでしょう。
それ以来、「うまんまら」は「春駒」と名前を変えることになったのです。
この名称変更の由来については、大正天皇への献上時ではなく、江戸時代に第16代薩摩藩主であった、島津重豪への献上時であったとの説もあります。
島津重豪は江戸幕府の第11代征夷大将軍徳川家斉の岳父として権勢を誇った有名な人物で、天保4年(1833年)に89歳で亡くなった非常に長命な人物でもあります。
カロリーや賞味期限は?
カロリーは?
1本あたり、185kcal
賞味期限は?
製造日より14日
上記は、明石家の春駒の情報です。
買ってきました!実食レポ
というわけで、鹿児島中央駅にて「明石屋 春駒」を発見!
実食するべく購入してみました。
小豆餡の豊かな風味と、もっちりとした弾力、しっとりとした口当たりが心地よいです。
黒砂糖や白双糖が入れられているとは言え、意外に甘さは控えめで、見た目以上にずっしり感がありますから、かなりの食べ応えがあるお菓子と言えるでしょう。
鹿児島県はお茶の産地として有名ですので、お茶菓子としてもとても優れているお菓子だと思いました。
どこで販売してる?通販は?
春駒の製造元としては、鹿児島県で安政元年に創業した老舗和菓子店明石屋が有名で、鹿児島市の本店の他、県内12ヶ所に店舗を展開しています。
明石屋の店舗は、鹿児島空港や鹿児島中央駅といった交通の要衝、観光地として有名な仙厳園、鹿児島県を代表する百貨店である山形屋にも出店していますので、旅行などで現地を訪れた際には、土産品として手軽に購入することが可能でしょう。
また、鹿児島県では他にもいくつかの和菓子店が春駒の製造・販売を行っています。
春駒は明石屋のオンラインショップを初め、複数の通販サイトでも取り扱われているため、全国どこからでも取り寄せることが可能です。
在庫状況は変動しますので、下記のバナーからそれぞれの検索結果をチェックしてみてください。
まとめ
昔から薩摩の人々に愛されてきた、野趣溢れる和菓子春駒。
その元々の名称は、ちょっと口には出しづらい直接的な表現でしたが、お菓子の見た目をそのまま表現した、薩摩の人々の素朴さが表れているとも言えるでしょう。
そして元のちょっとお下品な名称を、とっさに春駒という、雅な表現に言い換えた機転も素晴らしいと言えます。
皆さんも旅行などで、鹿児島県を訪れた際には、そんなユニークな歴史を持つ春駒を一度味わってみてはいかがでしょうか。