皆さんは鯨ようかんというお菓子をご存知でしょうか?
鯨ようかんは宮崎県で製造・販売されている餅を餡子で挟んだ、何とも形容しがたい不思議な形をした蒸し菓子です。
作りたての滑らかな食感が美味しいために、「菓子の刺身」とも言われる銘菓。
今回は、そんな鯨ようかんの特徴や発祥についてご紹介いたします。
鯨ようかんの特徴
鯨ようかんは宮崎県宮崎市佐土原町で製造・販売されている銘菓です。
名前に「ようかん」がついていても、寒天を使った練羊羹ではありません。
米粉を練って伸ばした餅の外側に、こし餡を挟んで蒸し上げた和菓子です。
鯨を模していると言われるその形状は、一般にイメージされる羊羹の形からはほど遠いと言えるでしょう。
そして、作りたての鯨ようかんの餅は、まだ水気が多くて滑らかで、もっちりとした食感の中にほのかな甘みがあります。
しかし、このもっちりとした食感は日持ちがしないため、作ってすぐに食べる必要があるのです。
そのため、鯨ようかんは「菓子の刺身」と呼ばれることがあります。
くじら羊羹の製造元としては、宮崎市佐土原町で昭和年間初期に創業した老舗和菓子店阪本商店が最も有名ですが、他に長峰菓子舗、安田屋、日向橘といった各店でも作られています。
阪本商店の手作り鯨ようかんは、製造数が1日30本限定であるためにすぐに売り切れることが多く、入手困難な珍品として扱われています。
また、安田屋では通常の白い餅を使った鯨ようかんに加えて、よもぎ餅を挟んだ商品があります。
また、冷凍にした鯨ようかんを製造しており、東京でも販売されることがあります。
ただし、量産された冷凍品は作りたてでいただく生の鯨ようかんに比べると風味に劣ることは否めません。
本当に美味しい鯨ようかんを食べるためには、どうしても現地へ行かなければならないでしょう。
鯨ようかんの発祥
江戸時代の前期、薩摩藩島津家の分家であった日向の佐土原藩島津家の第4代藩主島津忠高は寛文3年(1663年)に父の急逝に伴って、13歳の若さで家督を継ぎました。
しかし延宝4年(1976年)に26歳の若さで早世してしまいます。
嫡男の万吉丸(後の島津惟久)は2歳にも満たない幼さであったため、誰が跡を継ぐかで藩内では争論となりました。
結局、島津忠高の従弟に当たる島津久寿が、万吉丸が成人するまでのつなぎとして、藩主の座を引き受けることになるのですが、その混乱の中、万吉丸の生母である松寿丸が「息子と藩が、大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」と願いを込めて、鯨に似せた羊羹を作らせたのです。
これが鯨ようかんの発祥と言い伝えられています。
後に、元服して島津惟久と名を改めた万吉丸は、第6代藩主となり、名君として立派に藩を治め、領民たちに慕われました。
以来、伝統の和菓子として、佐土原藩の城下町であった宮崎市の佐土原町地区では、鯨ようかんが作り続けられてきたのです。
息子が立派に育って欲しいという母の願いが込められたお菓子。
その想いは時代を越えて引き継がれてゆき、今に至る鯨ようかんとして残っていると言えるでしょう。
買ってきました!実食レポ
というわけで、宮崎市にある道の駅高岡ビタミン館にて「安田屋 鯨ようかん」を発見!
実食するべく購入してみました。
賞味期限は、購入日の翌日まででした。
美味しい!!
モッチモチなんですが歯切れがよく食べやすい!
見た目に反して甘さはとっても控えめであっさりしています。
食感もいいので飽きずにどんどん食べ進め、あっという間に間食しちゃいました。
また宮崎へ行ったら買いたいお菓子ですね。


どこで販売されてる?
現在、鯨ようかんの製造元として最も古く有名なのは阪本商店ですが、毎日30本限定の生産であるために、すぐに売り切れてしまうことが多く、入手困難な逸品となっています。
他にも宮崎市佐土原町のいくつかの菓子店が鯨ようかんを製造しており、冷凍品を東京などへ出荷している安田屋では、宮崎県産こしひかり・ひのひかりを自家精米・自家製粉した米粉を使っていることが知られています。
長峰菓子舗の鯨ようかんは、宮崎空港で販売が行われることもあるようです。
もっとも、鯨ようかんの特徴である滑らかな食感を味わうには、作りたてをいただく他になく、そのためには現地へ足を運ぶ必要がありますね。
まとめ
「菓子の刺身」と呼ばれる鯨ようかんは、地方発送がほぼ不可能で、製造量も少なく、宮崎県宮崎市の佐土原町という限られた地区へ行かなければ入手困難とあって、まさに幻の和菓子と言えるでしょう。
しかし、幻の存在だからこそ、それを味わうことができた時の喜びは格別なはずです。
幻の和菓子を求めて、一度宮崎県まで足を運んでみるのも悪くはないかも知れませんよ。